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4.2. 行間を読ませるな

ここで告白しますが、私は、とても物分かりの悪い、頭の固い人間です。なぜならば、他人の話を聞いたり読んだりするとき、その行間を読むことができないからです。具体的な情報を正しい順番で説明してもらわないと私には物事を理解することができません。これは非常に困った問題です。これが災いして、大学院入試の面接でも、「あなたはコミュニケーション力に問題があると聞きましたが、うちの大学院に入ってもやっていけますか」などと聞かれてしまう始末です。本当に悩ましい問題です。

しかし、私の「行間読めない病」もサイエンスの世界では意外と役に立っているのです。特に、ライティングにおいては、行間が読めないからこそ現在のレベルまで力をつけることができたのだと思っています。

行間の読めない私が他人の文章を読むときは、「この人はたぶんこんなことを言いたいのだろう」と推し量ることはありません。いや、推し量ることができないのです。ただ読んだ内容を額面どおりに受け取るだけです。受け取った情報が明確でなければ、何一つ分かった気がしません。ですから、文章の良し悪しをはっきり見極めることができます。情報発信者の側からすると、私はかなり面倒くさいオーディエンスだと思います。逆に、こんな私が自分で文章を書くときは、行間の読めないダメな私でも理解できるように一生懸命工夫をこらします。何も補足しなくてもそのまま理解できる文章を書くように心がけています。その結果、分野外の人にも「分かりやすい」と言ってもらえる作品に仕上がるのだと考えています(えっへん)。

一方で、私と違って、行間の読める人たちは、下手な文章に出くわしても、なんとか理解できてしまうようです。これはこれで素晴らしい能力です。ところが、こういった人は、自分で論文を書く段になると、ついつい読者に甘えてしまうみたいです。「自分がこの表現で理解できるのだから、他の人も理解できるはずだ」「この程度の情報さえ与えておけば、きっと分かってくれるだろう」などと、文章の解釈を読者の行間読解力に委ねてしまうわけですね。

しかし、科学論文では、この「読者におまかせコース」は通用しません。読者が行間を読まなければ理解できないということは、その文章には十分な情報が正しい順序で盛り込まれていないのです。良い論文、それはつまり、読者に行間を読ませない論文のことでもあります。そのような論文を書くにはどうすればよいか。まずは論文の読み方を見直すことから始めるとよいでしょう。論文を読む際には、できるだけアホになってください。物分かりの悪いアホになってください。論文の著者に気を使う必要もありません。行間を読まずに論文を読む習慣をつければ、文章の良し悪しが今まで以上にクリアになってくると思います。そうすれば、行間を読ませないことの重要性も理解できるようになるでしょう。

(補足:もうお気づきかもしれませんが、「行間を読ませるな」は、ライティングだけでなくプレゼンテーションにも同じことが言えます。行間を読ませないプレゼンは、オーディエンスにとってストレスの少ない、分かりやすいプレゼンです。ただし、プレゼンの場合、オーディエンスの反応を見ながら、その場で軌道修正もできますね。一方で、ライティングの場合は、読者の反応や理解度に応じて書き直すことは不可能です。初めから、多くの人に分かってもらえる文章を書かなければなりません。したがって、ライティングにおいては、「行間を読ませるな」の掟がなおさら重要になってくるのです。)

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