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4.5. ことばとは何か

私は小学生の頃から「ことば」というものに非常に興味をもっていました。普段使っていることばがどうやって生まれて、どのように今の形になったのか。なぜことばを意味のあるものとして理解できるのか。そういったことをなんとなく不思議に思っていたのでした。

ある日のこと、小学生の私は、学校からの帰り道に、なぜ朝のあいさつが「おはよう」でなければならないのかということを思索していました。そして、「おはよう」ということばを何度も何度も口にしているうちに、「おはよう」が「おはよう」でないような不思議な感覚に突然陥ったのです。まるで「おはよう」ということばが、行ったことも聞いたこともない異国のことばに聞こえるようになったのです。

ことばとは何かを自分なりに理解できた瞬間でした。

私の解釈はこうです。ことばとはある種、立体的な形を持ったものであり、したがって、斜め上から光を当てると当然影法師ができるんですね(下図参照)。多くの人はことばの「形」のみに意識を奪われてしまいますが、実はこの影法師が大事なのです。この影法師がことばの「意味」に相当し、常にことばの「形」に付いて回るのです。ところが、私の小学校の頃の体験のように、「おはよう」ということばを念仏のように唱えていると、「おはよう」ということばの形とその影法師(つまり、ことばの意味)が切り離されてしまう瞬間が訪れるのです。自分が歩いているのに自分の影が一緒についてこないとしたら不気味でしょう。それと同じで、ことばの形と影が分離してしまうのは大変気持ち悪いことなのです。



「こいつは一体何を言ってるんだ」と思われた方は、ぜひ同じ事を試してみてください。「おはよう」でも「りんご」でも「自転車」でも、何でも構いませんが、日常的に使う単語を1つ選び、それをひたすら念仏のように唱えてください。頭が疲れているときにやると効果的です。雑念があるとうまくいきませんが、ある種のトランス状態に陥った時、ことばの影法師を見失う瞬間がやってきます。体験されたことのない方に言葉で説明するのは難しいのですが、その瞬間、「ことばとは何か」を感覚的に理解できるようになります。この感覚が、ことばに対するセンスを磨いていく上で重要なのです。

なぜこんな話をしたかというと、日本人研究者の英文を読んでいるとしばしば「ことばの影法師」が行方不明になっていることに気づくからなのです。言いたいことは分かるのだけれど、英語としてどこかぎごちない。英語を自分のことばとして「own」できていない。何か、ことばの定義だけでしか英語を理解できていない。そんな気がしてならない時があるのです。辞書を片手に日本語から英語に変換するだけでも文法的に正しい英文を作ることはできますが、これは所詮、ことばの「形」だけを操っているだけにすぎません。ことばの形の背後に隠れた影法師までを同時に操ってこそ、英語論文マスターになれるのです。もちろん、「それはただの英語力の問題だろ」「海外経験があるかないかの違いだろ」などと言われればそれまでですが、少なくとも私はこんなことを考えながら論文を書いたり編集しています。あと、「ことば」に興味をもたれた方は、言語学者の鈴木孝夫先生の名著「ことばと文化」という本がありますからぜひ読んでみてください。

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