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4.6. ことばは現象に先立つ

聞きかじっただけの話なのですが、19世紀末のスイスにフェルディナン・ド・ソシュールという言語学者がいまして、「ことばは現象に先立つ」(正確に何と言ったのかは知りません)てなことをおっしゃったそうです。普通はですよ、「りんご」や「バナナ」という存在あるいは現象がまず初めに存在するから、それを指し示すことばが後から生まれてくると考えるわけです。ところがソシュールは、「それはちゃうで。ことばがまず初めにあるから、存在や現象を認識できるんや」と言うのです。これは当時、コペルニクス的発想の大転換で、言語学の世界に相当なショックを与えたそうです。例えてみるならば、「ごはんを食べるからウンコをする」と思っていたら、「ウンコをするからごはんを食べる」だったのと同じくらい衝撃的なことなのでした。聖書の中にも、「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」という一文があるらしいですから、これがほんとうにソシュールのオリジナルのアイデアなのかは知りません。しかし、これを聞いて私は妙に納得してしまったのでした。

考えてみれば、科学というのは「ことばを生み出す作業」そのものではありませんか。例えば、DNAということばを生み出すことで初めてDNAという物質およびその周辺の現象を認識できるようになりました。もしDNAということばがなければ、DNAという物質は世界に存在しないのと同じことなのです。この点を踏まえると、科学者の仕事は、新たなことばを生み出すことで、万人が認識できる世界を構築することだとも言えます。これは大変なことになってきました。ものすごい権限が科学者に与えられているのです。正直恐ろしすぎて、私なら御役御免願いたいところです。

こんな大役を科学者には託されているわけですから、当然身の引き締まる思いがしますし、そうあるべきです。ことばを安易に扱うことで偽りの世界を作ってしまうことが決してないよう慎重になって然るべきです。しかし、どれだけの科学者がこんなことを気にしながら論文やグラント申請書を書いているでしょうか。自分の研究成果を派手にアピールしたいがために、不必要な用語を"発明"している人はいませんか。「グローバル」だとか「戦略的」だとか「イノベーション」だとか、それが一体何を意味するのでしょうか。私を含めて、科学者は、もう少しことばというものに真摯な姿勢で向き合う必要があるかもしれません。

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